PICKUP : Dependent House Series
DEPENDENT HOUSEシリーズは全て1946年G.H.Qの要請により製作され、米太平洋総司令部技術本部設計課び、 商工省工芸指導所により、連合軍家族用住宅に於いて使用された家具の完全な復刻です。(下記に述べる第一世代の復刻)
P.F.S.では1988年の発足以来このシリーズを作り続けており、
DEPENDENT HOUSEシリーズはまさに原点とも言える家具たちです。
これらの家具は日本の優れた職人技術と欧米のモダン・スタイルとの最初の融合であり、 イスとテーブルという様式の生活を行う場合、模範的な生活空間を提供するものとして、 現在においてこそ評価されるべき優れたものです。
このシリーズは、ミリタリースペックの厳しい条件と今では考えられない様な手の込んだ当時の技法をできるだけ忠実に守り製作しています。素材には、今では高価になったナラの無垢材をふんだんに使用し、 塗装においても約80年前の何工程にも及ぶ仕上げにできるだけ近づけるために、 ニスをベースに工程を重ね、耐久性を持たせた特殊な塗装を施しています。これにより、通常のウレタンやラッカーによる塗装では味わえない、独特の風合いを出すことに成功しました。
これらの家具に接した時、既存の家具がいかに安直なものが多いかお判りになる筈です。
又、価格においてはハンドイドにも関わらず、モダン家具の基本として考え、できる限り低価格で販売しています。
P.F.S.は、これらの製品を製作販売することを生活を向上させるための一つの運動として考え取り組んでいます。
DEPENDENT HOUSEと、その家具の起源
第二次世界大戦敗戦時、日本は米軍の占領下におかれた。
ディペンデントハウスとは、G.H.Q.(連合軍最高総司令部)による日本占領下に於ける米軍家族用住宅、いわゆる進駐軍住宅のことである。
敗戦直後の昭和20年12月、日本政府はG.H.Q.により2年間のうちに約20000戸(内朝鮮4000戸)の住宅建設を命じられた。
その建設は東京のワシントンハイツをはじめ、住宅にとどまらず、幼稚園、小学校、礼拝堂、劇場、クラブ、診療所、駐在所、などの公共施設を備え、ガソリンスタンド、舗装路、上下水道、を完備した住宅地区をつくるといった壮大なものであった。
建設地も東京、横浜をはじめとして、北海道から九州に至る各地に及んだ。
また21年3月には約950000点もの家具什器類の生産が命じられた。
▲現在の代々木公園の位置にあった東京のワシントンハイツの航空写真
そこでG.H.Q.によるデザイン指導のもと、商工省工芸指導所(後の通産省)がこの生産にあたり、3月から5月までの三ヶ月間で実施設計を行い、全国の焼け残った数百の向上を総動員して、この生産にあたった。
敗戦直後で極端に物資が不足していた中で、膨大な量の、しかも高いレベルの建築と家具、什器から家電製品まで極めて短時間に生産しなくてはならなかった。しかし、これを遂行したことによって、建設業を始め、家具、什器、電気業界はいずれも復興の手がかりをつかむことができ、戦時生産から平時生産への再転換が急速に促進されたのである。
また同時にこのときに日本で初めて機械化による家具の量産と家電製品の本格生産が開始され、家具産業や家電産業の飛躍的な技術の向上が行われたのである。
▲資料「DEPENDENTS HOUSING」より
第一世代(40年代)
前面に張り出した筒状の取手に至るまで、全て天然木で作られていたため、木のぬくもりや量感が印象的である。 無垢のナラ材のもつ明るい色みも特徴。
第二世代(50年代)
取手が金物へと変遷。この世代までは日本で作られるものが圧倒的に多かったが、後期になるとアメリカ性も出現。木材は南洋材(ラワン・アピトン)などの無垢材を使用。
第三世代(60年代)
デコラトップ(化粧板)に無垢材と合板を使用したものが主流になる。取手のデザインは流用されるが、引き出しや扉の面のエッジを削って装飾性を高めるなど、次第にデーニッシュデザインにも通じる装飾性が見られるようになる。合板の突き板はアメリカンチェリーやメーブルが使用されていた。
第四世代(70年〜80年代)
脚を除いてほとんど合板が使用されるようになる。突き板の芯材が板状の木材を並べたものからパーティクルボード(木の細かいチップを板状にしたもの)へ変わるなど、生産上の合理性をより追求するようになる。また、取手は張り出したものから中へくぼんだものに変わるなど、当時の趣味性も垣間みることができる。
▲写真は2019年6月22日(土)からパーツセンターで販売予定の第四世代の米軍住宅払い下げ家具
→ 詳細はニュースページにて
P.F.S.のディペンデントハウスシリーズは10年刻みでディテールや質感を変えながら歴史を刻んできた米軍ハウス家具のうち、最初期である第一世代のものを、現在の日本人のニーズに配慮しながら製作しているシリーズです。
米軍ハウスの家具は「誰がデザインした」とか「当時の流行を取り入れた」といった記号性とは縁遠く、そこに住む人の快適さや便宜性を最優先につくられているので、無駄な要素が極めて少ないアノニマス(匿名性)デザインが特徴です。






















2003年3月号 X-knowledge HOMEの弊社代表インタビューより
「米軍ハウス、と聞くと、アメリカ然としたイメージが先行してしまいますが、実際にはロサンゼルスに行っても、ニューヨークにいっても、アリゾナに行ってもあんな風景はどこにも探せない。米軍ハウスが作られた最初期は占領軍が日本の職人に日本の木材で住宅を作らせていたし、梁を思わせる日本らしい意匠が取り入れたところがあったことを考えても、彼らが極東の地、日本で住むにあたって好んだのは、当時アメリカで流行していたモダンな要素そのものではなく、むしろオリエンタルなものとアメリカ的なものが融合した、全く新しいものだったんです。僕自身は、米軍基地のフェンスの向こうで繰り広げられていた、少し危険な香りが漂うハウスの雰囲気がたまらなくすきでした。日本にあって日本ではない、かといって実はアメリカというわけでもない。ダークサイドな部分も持っている”あいのこ”のような一面に魅力を感じるんです。」
※店頭でもお取り扱いしています。詳細はPACIFIC FURNITURE SERVICE店舗(03-3710-9865)shop@pfservice.co.jpまでお問い合わせください。